2011年




ーー−6/7−ーー 賢い動物


 先日、地元の友人と車で、長野市へ出掛けた。

 車を走らせながら、話をしているうちに、原発の事故や、電力不足が話題になった。

「人間の欲望は限りが無く、行き付くところまで行かなければ目が覚めない」

「いったん豊かさを手に入れたら、後には戻れない」

「危険と分かっていても、人間は便利な物を手にすると離れられない」

などという、高邁な会話を繰り返した。

そして、 「ほどほどで止めることができれば、人間も賢い動物なのだが」と、結論めいた事に落ち着いた。

 そのうちに、オリンピック道路を抜けて、国道に出た。とたんに、「道路が整備されて、便利になった」、「やはり車を使うとラクだ」等々、直前の会話とは反するような言葉がポンポン飛び出した。それに気が付いて、お互いに頭をかいた。

 以前、あるテレビ番組で見た、フランスの片田舎でシェリー酒を作っている酒蔵。たしかシェリー酒だったと記憶しているが、フランスでシェリー酒というのは変だから、他の酒だったかも知れない。あるいはフランスではなくてスペインだったか。ともかく、高級酒で名の知れた酒蔵とのことだった。

 品質が高いから、値段は高くても飛ぶように売れる。その一方、小規模で丁寧に作っているから、生産量は少ない。作る端から売り切れになる。その事についてインタビュアーが質問をした。何故もっとたくさん作らないのか。たくさん作れば、より多くの人に楽しんでもらえるし、だいいちもっと儲かるではないかと。

 それに対して、初老のオーナーはこう答えた 「生産量を増やせば、忙しくなって、自分の仕事や生活のペースが乱れる。私はこれから先も、自分の人生の主人公でありたいのだ」

 賢い動物としての人間も、探せば世の中に居るようである。




ーーー6/14−−− KAKIのウッドワーキング 


 自分で木工家具を作ってみたいという人が現れた場合、私が一番に勧める本がある。「KAKIのウッドワーキング」。木工家柿谷誠氏が主宰する家具工房「KAKI工房」の紹介と、具体的な作品作りの手法を解説した本である。専門家筋では、この本の評価は分かれるようだが、私はこの本との出会いが強い思い出として残っており、今でもこの本に感謝と敬意を抱いている。

 木工家具作りに対して、漠然とした関心を抱き始めた頃、当時住んでいた千葉県習志野市の図書館で、たまたまこの本を手にした。その内容は目を見張るほど新鮮で、一通り読んだ後、本屋へ出掛けて注文をした。右の画像が、その時購入したものである。

 それ以来、自宅で何度も繰り返し読んだ。技術専門校に入るまでは、この本が私にとって唯一の指導者だった。書かれている事を参考にして、いくつかの作品も作った。それらのほとんどは、いまだに我が家で使われている。

 行き届いた、素敵な本である。いくつかの例題を示し、家具作りのプロセスを丁寧に説明している。図面も多数挿入されているが、その図面がいずれも綺麗で見易い。また、作業工程の写真も多く使われており、それらがまた実に的確である。おそらく、膨大な手間と時間をかけて編集した本だと思う。なかなかここまで出来るものではない。読者層や購入層を意識していないような、本が売れるかどうかに関心が無いかのような、採算を度外視したような本である。国内で出版された木工関係の手引書で、このグレードにあるものを、私は他に見た事が無い。

 KAKI工房の作品の写真も多数掲載されている。それらも実に美しい。私はその当時、うっとりとして見入ったものだった。いつかは自分もこのような家具を作りたいと夢に描いた。現在それは実現しているが、このような本を出版できる自信は無い。

 木工の手引書の性格が強いが、単なるハウツーものではない。無機質な解説書ではないのだ。ページをめくると、あちらこちらにキラリと光るものがある。それは木や木工、そして家具作りに対する、著者の深い思いに裏付けされている。この本は、トータルとして、読む人を幸せな気持ちにさせるのだ。

 十数年前に、木工仲間で富山県地方へ取材旅行に出かけたことがあった。その途中、KAKI工房にも立ち寄った。誠氏は不在だったが、一緒にやっているご兄弟が案内をしてくれた。

 全体の印象として、いわゆる木工所の雰囲気ではなかった。流れ作業でガンガン作るという感じではない。どことなくオシャレで、おっとりとしていて、余裕が感じられた。同行した木工家の中には、軽い失望感を表した人もいた。プロフェッショナルな物作りの現場という印象が希薄であると。

 元々柿谷兄弟が、自己流でスタートした家具作りだから、いわゆる業界と一線を画しているのは当然と言える。また、KAKIの家具がブランドとして認められ、多くのファンが居るから、マイペースを変える必要も無いのだろう。それはともかく、どことなくアマチュアリズムを残しているような工房のライフスタイルだから、このような本を作ることができたのだと思う。






ーーー6/21−−− 三手先を読む


 大阪の息子と電話で雑談をしているとき、「三手先を読む」という話が出た。囲碁では、このことがとても大切だと言うのである。ちなみに息子は中学生の頃から囲碁を始め、現在五段程度の腕前で、学生時代は囲碁部にも在籍した。

 自分が打つ手を一手目、それに対する相手の手を二手目、さらにそれに応じる自分の手を三手目と呼ぶ。

 初心者は、一手目しか考えない。ここに打ちたいから打つ。それだけだ。

 ある程度力が付いてくると、相手がどう応じるかを予測しながら打つ。その予測が不利になると判断したら、別の手を打つ。これだけでも、一手目しか考えないのとはずいぶん違うと言う。相手に打たれてギョッとするのと、あらかじめそれを予測して回避するのでは、確かに大きな差があるのだろう。

 上級者は、三手先つまり相手がこう打ったらこう応じるというところまで読んで打つ。これがさらに大きな違いを生む。二手先を読むのは、相手の出方を予測するだけだが、三手先まで読むというのは、自分がどう対応するかを考える、つまり先の状況を主体的に捉える事になる。これが大切な事だと言う。囲碁が上達しない人は、ほとんどこれができていない。上級者から見れば、行き当たりばったりの打ち方に終始しているそうだ。

 ところで、二手目がどこに来るかは、相手しだいである。こちらが思っている場所とは違う場合もある。そこで、可能性のあるところを全てチェックする。その各々について、三手目を考える。

 プロ棋士は、瞬時に何十手も読むと言うが、それは何十手先まで読むのではなく、何十通りの手を考えるという事だそうである。局所的な詰めは別として、大局的な場面では、あまり先まで読む必要は無い。十手先まで読んでも、二手目の予想が外れれば、後の八手は意味が無くなるからだ。

 三手先を読むというのは、囲碁を離れても大切な事だと言う。囲碁の達人はこういう考え方が身に付いているから、普通の会話をしている時でも、話の展開が違うとのこと。囲碁の門外漢にとっても、ちょっと参考になる意見ではなかろうか。世間一般では、「考え過ぎは良くない」と言う。その考え過ぎとは、有りうるかどうか分からない先のことまで考える事を言うのだと思う。それに対して、予測可能な範囲で、様々なケースを検討し、対応策を準備する。これはつまり、三手先を読むことではなかろうか。


 囲碁の話で思い出した事がある。

 現在のところ、囲碁の世界では、まだ人間がコンピュータに屈していない。プロ棋士のレベルなら、コンピューターに負けないそうである。チェスは、もうだいぶ前に、世界チャンピオンがコンピューターに負けた。将棋もだいぶ分が悪くなり、近いうちに人間が勝てなくなるだろうと予想されている。囲碁と言うゲームの難しさが、ここにも表れている。

 チェスで人間が敗北した頃の話だったか。囲碁の藤沢秀行名人に向かって、ある人が「囲碁でもそのうちコンピューターの方が強くなるのでしょうか」と聞いた。名人は「もし負けるようなことになっても、碁盤の線を二本増やせば、また人間の天下が長く続くよ」と言ったそうだ。

 碁盤は、縦19本、横19本の線によって仕切られている。その交点に石を置く。交点の数は361である。これが正式なサイズであり、十九路盤と呼ぶ。他に、省略したサイズで、九路盤や十三路盤もある。

 碁盤は、中心に天元と呼ばれる交点がある。そのため、線の数は奇数でなければならない。名人が「二本増やせば」と言ったのは、そういう意味である。二本増やせば二十一路盤になる。交点の数は441。

 この最小限の盤面の拡大で、人間とコンピューターの差はまた開くというのだ。囲碁をかじったことがある者なら分かるだろうが、この名人のコメントは、誠に正鵠を射たものだと言える。さすがは囲碁の神様のように言われてきた人物だ。宇宙の広がりにも例えられる囲碁の世界を、実に見事に言い表した。しかもユーモアがある。どちらにしろ人間が作り出した物だと言わんばかりの、スケールの大きさが感じられる。それでいて、棋士としてのプライドは揺るぎ無い。

 このエピソードを、ある酒席で話題にした。わきで聞いていた放送作家なる男は、「そんなことは無い。コンピューターは状況に対応して進化する能力があるから、碁盤の線を増やしたぐらいで優劣は逆転しない」と、自信たっぷりに言った。

 その発言を聞いて私は、この人は囲碁もコンピューターも知らないと思った。しかしこの唐突な反応は想定していなかったので、タイムリーに三手目を繰り出すことができなかった。今から思えば無念である。



(補足) 九路盤の勝負なら、現在ではコンピューターもかなり善戦をするらしい。十三路盤ならそれより落ちる。そして十九路盤となると、まだまだアマチュアレベルとのこと。これは、盤面の大きさが、勝負の難しさの面で、決定的な要素であることを示している。




ーーー6/28−−− 初めての歌舞伎


 私も家内も、歌舞伎を観た事が無かった。一度は見てみたいものだと、千葉県に住んでいる頃から思っていた。しかし、歌舞伎というのは、ちょっと敷居が高いように感じていた。一見の客が気安く観に行けるものでは無いという印象があった。信州に移り住んでからは、もはや歌舞伎を観ることは一生無いように思えた。

 千葉の友人M氏は、娘さんの仕事の関係で、歌舞伎の招待券が手に入る。これまでに何度か、東京に住む私の母は、M氏からチケットを貰って、歌舞伎を楽しんだ。最近、そのM氏のブログに、歌舞伎を観に行ったという記事が有った。私が、羨ましいですねとコメントを書いたら、チケットを手配するから、奥さんと観に行ったらどうかと返事が有った。

 思いがけない話に、家内は喜んだ。半月ほどして、チケットが届いた。お礼の電話をしたら、歌舞伎の楽しみ方をアドバイスしてくれた。イヤホンガイド、パンフレット、お弁当のことなど。こういう情報は有り難い。おかげで敷居がグッと低くなった。

 公演は昼の部だったので、日帰りができる。朝5時半に自宅を出て、高速バスで東京に向かった。会場の新橋演舞場に着くと、既に大勢の観客が開場を待って並んでいた。建物の中に入ると、全般的にレトロな雰囲気が漂っていた。二階の座席に着いて回りを見たら、観客の90パーセント以上はご婦人だった。

 演目は、「頼朝の死」、「梶原平三誉石切」、「連獅子」の三本。途中に二回の休憩を挟み、4時間半の長丁場である。この三つの出し物は、それぞれ毛色が違っていて、三通りの楽しみが味わえる。歌舞伎の入門者には、うってつけの構成だった。

 定刻になると、幕の向こうがざわついて、何事かと思ったら、スーッと幕が上がって、突然舞台が始まった。

 私の数少ない演劇鑑賞の経験から言っても、生で見ると迫力が違う。歌舞伎も正にそうだった。舞台の大道具、小道具、照明、役者の衣装などが一体となって場の雰囲気を作り、「本物」の世界が展開される。そして役者の演技、声の調子の素晴らしさ。思わず引き込まれていった。

 「頼朝の死」の二幕目の出だしは見事だった。源頼家が、亡き父頼朝の寝所で月を眺めているシーン。なんとも風雅なたたずまい。しばらくして御簾が上がる。主役の頼家がくっきりと姿を現す。客席から拍手が起こる。実に心憎い演出であった。

 イヤホンガイドを、始めは家内が使っていたが、音が被ると役者の台詞が聞き取り難いと言って、私に回ってきた。これはなかなか役に立った。歌舞伎の通には必要ないだろうが、私のような素人には、「ここが一つの見せ場です」などという解説は有り難い。

 休憩時間に昼食を取った。館内のレストランで食べるという贅沢なやり方もM氏から勧められたが、地味に外で買った弁当を座席で食べた。ほとんどの観客は、座席で食べているようだった。隣の老婦人は、自宅から持ってきたとおぼしきお握りを食べていた。こういうところは庶民的で面白い。歌舞伎を主催する側は、伝統や格式を重んじる世界なのだろうが、観る側は一般大衆なのである。

 三つ目の「連獅子」は、家内のお目当てだった。親獅子を演じるのは片岡仁左衛門、子獅子はその孫の千之助。両者が絡み合うような舞は、名役者の貫録と、子役の愛らしさが絶妙なバランスで、見応えがあった。

 舞台が終わり、幕が下がると、そのまま文字通りのお開き。観客は席を立ってぞろぞろと出口へ向かう。このあっけなさも、一つの確立した美意識のように思われた。

 帰りの高速バスの中。家内は興奮冷めやらぬ様子で、会場で買い求めたパンフレットのページをめくっていた。私も、初体験となった歌舞伎の余韻を感じながら、車窓に移る夜景を眺めていた。






→Topへもどる